退職を考え始めたとき、真っ先に浮かんだのは家族の顔でした。
これは自分だけの問題ではない。妻の理解なしには前へ進めない。そう分かっていても、私は約1か月、退職したい気持ちを一人で抱えていました。
思い切って話したのは、家事を終えた後のウォーキング中です。
その会話をきっかけに、退職は「私一人の決断」から、共働きだった我が家の生活と役割を見直す話へ変わりました。
この記事では、妻へ話す前に準備したこと、実際に話したときの反応、夫側が退職すると判断した理由、退職前に確認した家計と生活のシミュレーションをまとめます。
制度や金額の一般的な説明ではなく、すべて当時の我が家で考えた内容です。
共働きの生活は、少しの予定外で崩れた
当時、私たちはフルタイムの共働きでした。子どもは小学生と年中の2人です。
私は職場まで往復60kmありました。子どもの送りは妻、迎えは私が担当していました。フレックス勤務で30分の時差出勤をさせてもらっていましたが、迎えの時間には毎日ぎりぎりでした。
家事は「先に帰った方がやる」というルールでした。妻が前日に作り置きをしてくれ、私が温めて出します。それでも子どもたちはよく食べるため、帰宅後にまた何かを作ることもありました。
夕食、洗濯、お風呂、片付け、宿題の確認、翌日の準備。すべてが予定どおりなら、何とか回せます。
問題は、子どもの体調不良、台風、学級閉鎖、学校行事、長期休暇などが重なったときでした。
そのたびに「どちらが仕事を調整するか」を考えます。妻より所得が少ない自分が休むべきではないかと思っても、仕事の状況によって簡単には休めません。
このやり取りが積み重なるほど、申し訳なさとプレッシャーが大きくなりました。
退職を話す前に準備したこと
いきなり「退職したい」と伝えても、妻を困らせるだけだと思いました。
そこで、自分なりに次のことを整理しました。
家計管理は会社員時代から私がすべて担当していました。日々の支出や資産の状況は把握していたつもりでしたが、退職を考えるにあたり、改めて数字を並べて確認しました。
- 退職後の生活費
- 現在の資産と収入の見通し
- 給与がなくなった後の世帯全体の状況
- 退職後に取り組みたい個人事業
- 家事、送迎、子どもの予定を誰が担当するか
感情だけで話すのではなく、思いつきではないことを伝え、妻も一緒に考えられる状態にしたかったからです。
それでも、切り出すのは怖く感じました。
驚かせるかもしれない。反対されるかもしれない。がっかりさせるかもしれない。そう考えながら、約1か月が過ぎました。
ウォーキングの途中で妻へ話した
家事が終わった後、ウォーキングをしながら退職について話しました。
向かい合うより、並んで歩きながら話した方が、お互いに少し話しやすかったように思います。
妻は少し驚いた様子でしたが、思っていたより落ち着いて聞いてくれました。どこかで私の変化に気づいていたのかもしれません。
話を聞くと、妻も現在の生活に限界を感じていました。
年度の変わり目に異動や配置転換の話が出るたび、「この生活をいつまで続けるのか」と考えていたそうです。
話し合いの中で、妻から次の言葉が出ました。
「どちらかがフリーになって家庭を回すのはありかもしれない」
私が言い出す前から、妻も似たことを感じていました。この瞬間、退職は私一人の決断ではなく、夫婦でこれからの生活を考える話になりました。
なぜ我が家では夫側が退職したのか
以前の私は、「夫である自分が稼がなければならない」と考えていました。
妻が育児休業に入ったときも、家庭を任せる分、自分がもっと稼がなければならないと思っていました。
しかし、確定申告のために夫婦の源泉徴収票を並べると、数年前から私の年収は伸び悩み、妻の年収は上がっていました。
正直に言えば、最初は情けなさも感じました。「男としてどうなのだろう」という気持ちがなかったとは言えません。
それでも、感情とは別に我が家の状況を見ました。
- 妻は安定した仕事を続けていた
- 妻の収入は私より高かった
- 私の通勤距離は往復60kmだった
- 私が家庭へ入れば、子どもの予定外へ対応しやすくなる
- 私には4年前から続けていた個人事業があった
話し合った結果、妻が仕事へ集中し、私が家事、子どもの送迎、体調不良や学校行事へ対応する形を選びました。私は家庭を担当しながら、個人事業へ取り組みます。
これは、夫婦の役割についての一般的な答えではありません。当時の収入、仕事、通勤、子どもの年齢を踏まえ、我が家で選んだ配置でした。
家計簿アプリで年間支出を確認した
退職前に、家計簿アプリで年間の支出を洗い出しました。
結果は、自分が感覚的に考えていた金額より多く、正直驚きました。
「退職したら生活できるのか」という不安を、何となく大丈夫だと思い込まず、まず現在の生活費を確認しました。
私たちが確認したのは、主に次の三つです。
- 毎月どれだけ使っているか
- 私の給与がなくなった状態で、世帯としてどこまで生活できるか
- 個人事業ですぐ結果が出ない期間を、どこまで受け入れられるか
妻の収入を含む当時の我が家の条件で考え、生活防衛資金は1年分を用意しました。
同じ金額があれば誰でも退職できるという意味ではありません。私たちが、その時点でどこまでなら挑戦できるかを判断するための確認でした。
「退職すれば支出が減る」という予想は外れた
私は当初、退職すれば支出が大きく減ると思っていました。
通勤がなくなり、車の走行距離が減る。仕事のストレスによる外食も減るはずだと考えたからです。
一方、退職後の社会保険について当時の条件で計算すると、減ると考えた支出と新たな負担がほぼ相殺されました。私の計算では、結果はプラスマイナスゼロでした。
会社員の間、給与から天引きされていたものや、会社に支えてもらっていた部分を、退職を考えて初めて強く意識しました。
そのうえで、退職後1年目は妻の扶養に入ることを選びました。
扶養に入ることへの抵抗がなかったわけではありません。それでも、感情より当時の我が家にとって負担の少ない方法を選びました。
これは私の場合の体験です。制度や条件は家庭によって違うため、一般的な説明や推奨として書いているものではありません。
「給与がなくなる」と「世帯収入がゼロになる」を分けた
退職前の私は、自分の給与がなくなることと、家庭の収入がすべてなくなることを、同じように怖がっていました。
実際には、妻が仕事を続けてくれます。また、個人事業は退職直前に思いついたものではなく、4年前から続けていました。
もちろん、個人事業で会社員と同じ金額をすぐに得られるとは考えていませんでした。
それでも、次の三つを分けると、何を確認すべきかが見えました。
- 自分の会社員給与がなくなる
- 世帯全体の収入が変わる
- 個人事業の収入は予測しにくい
会社の看板を外す怖さは、金額だけでもありませんでした。会社の信用、商品、取引先、設備、役割分担がある中で評価されてきた自分が、会社の外で何を提供できるのか分からなかったからです。
退職前に描いた1日の生活
退職前の平日は、朝5時30分に夫婦で起き、朝食と洗濯を済ませ、6時30分に子どもを起こしていました。
私は7時30分に会社へ着き、8時から16時45分まで勤務。その後、子どもの迎えへ向かい、帰宅は18時ごろでした。
夕食と片付けが終わるのは19時30分ごろ。20時から夫婦でウォーキングをし、お風呂、子どもの寝かしつけが終わると22時です。
そこから私は個人事業、妻は持ち帰りの仕事をし、就寝は0時でした。
退職後は、起床時間を変えず、子どもの見送りと送迎、体調不良、通院を私が担当する計画を立てました。午前中は個人事業、午後は健康のための時間、夕方は夕食と迎えを担当する予定でした。
実際には、退職後の生活がすべて計画どおりになったわけではありません。自由な時間が増えても、自分で休憩や仕事の区切りを決める難しさがありました。
一方、子どもの予定に対応し、妻が帰宅する前に家事や夕食を進められるようになった点は、事前に考えた役割とつながっています。
一人で抱えずに話してよかった
私は1か月、退職について一人で悩みました。
しかし、ウォーキング中に話してみると、妻も同じ生活へ限界を感じていることが分かりました。
話す前に家計と退職後の見通しを準備したことで、賛成か反対かだけではなく、「我が家の生活をどう変えるか」を一緒に考えられました。
退職後の不安は今もあります。それでも、夫婦で家計と役割を確認し、自分だけで決めなかったことは、退職前にしてよかったことの一つです。
※この記事は、当時の我が家で妻へ相談し、家計と生活を確認した体験です。退職、扶養、社会保険、投資などについて一般的な判断を示すものではありません。


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